『どうする家康』に眞栄田郷敦はいつから出演?放送回を紹介!を語ってみたいです。
『どうする家康』松本潤さん主演2023年1月8日日曜日からスタートして早数回、LEDウォールとインカメラVFXの撮影のおかげで立体感がすごいですね。
時は戦国時代、色々な戦が有る中、今度は武田信玄(阿部寛さんが演じます)のお話です。
信玄公、みなさん結構好き!?ではありませんか?(勝手な想像ですが、特に山梨県民の方々!)だって、その当時武田信玄と言えば”最強”(スーパースター)って言っちゃっても良いくらい強かったですよね!?
60戦で負けは2敗だけ!
かの有名な「三方ヶ原の戦い」元亀3年武田軍は家康軍に圧勝!
その時大活躍したのが信玄の嫡男、武田勝頼。
演じるのは先日23歳になった眞栄田 郷敦(まえだ ごうどん)さん、お兄さんは新田真剣佑さん(26歳)
それでは、今回は『どうする家康』に眞栄田郷敦はいつから出演?放送回を紹介!を紹介していきます。
眞栄田郷敦さんはいつから?三方ヶ原の戦い?
写真:静岡県のビビッドな取材情報を提供!静岡・浜松・伊豆情報局より:しかみ像
一寸、お堅いお話です。
歴史を知る・学ぶ意味ってなんですかね?(一寸真面目です)
自分、先日まで歴史なんかまったく興味が有りませんでした。
(/ω\)なぜならば、別に人生にとっては優先順位が低い学問・教養であるからです。
歴史を学ぶ意味は大いにあるが必要かといわれるとそうでもないと思います。
人は、歴史を知らずとも生きていけるし幸せになれるからです。
しかし、歴史は豊かな好奇心と感性を身につけ、現代社会を生きぬく智慧(ちえ)を見つけることができる学問・教養だと気づきました。
今更ですが・・・。ほんとーに恥ずかしい。
簡単に眞栄田 郷敦さんのプロフィール
「知ってるよ!プロフィールなんかいらない!」と声が聞こえてきそうですが、一応さらっとお話させて下さい。
名前:眞栄田郷敦(まえだ ごうどん)さん。本名:前田 郷敦
- 生年月日:2000年1月9日(23歳)
- 出身地:カリフォルニア州ロサンゼルス
- 身長:180cm
- 血液型:B型
- 配偶者:一般女性、お名前やお顔は公表されてないようです。
お父様は千葉真一(大スター:若いころは真剣佑や郷敦にそっくり)さんもNHK大河ドラマ第28話の「風林火山」で板垣信方役として出ているのですね。
びっくり。
2番目の奥様「玉美」さんとの間に長男:新田真剣佑(あらたまっけんゆう)さん
生年月日1996年11月16日(26歳)
次男:真栄田郷敦(まえだ ごうどん)さん
最初の奥様:野際陽子(大女優)さんとの間に真瀬樹里(異母姉)さん、叔父は矢吹二朗さん。
郷敦さんはお父様が大スターだったせいなのか武田勝頼役を演じるにあたり「自分と重なる点も多いような気がします」とコメント。
初めての大河ドラマ、大きなところでは『所作』とかが今までの役とまったく違うので困ったそうです。
不安要素はかなりあるもののそこは想像でやるしかない!と語っていました。
武田勝頼役としてドラマでの活躍を期待しています。
三方ヶ原の戦い家康『しかみ像』を書かす
甲斐(今の甲府)の武田信玄は山奥で忍びのノウハウを蓄積していたと伝えられています。
山の形、川などの地形、『ふけ』(田んぼの深さまでも調べさせていたようです)また、誰と誰が仲が良くて誰と誰が仲が悪いとか、不満を持っている人間はいるのか?かなり調べさせていたようです。
その情報収集能力が「戦上手」と言われるゆえん。裏では忍びなどを使って敵方の情報収集が常にあったようです。
武田信玄が家康のこもる浜松城の目の前で西に進路を急に変更したのもちみちに情報と作戦があったと言われています。
敵が目の前、自分の庭を余裕で横切る敵陣をそのまま見過ごせば見方は離れていくし浜名湖水運もやられてしまう。
当時浜名湖水運は三河からの物資を浜松城に運び入れる重要な経路だった為、家康は織田弾正信長の言いつけも守らずに武田軍に兵を出してしまう。
結果、惨敗を喫する。
武田軍2万、徳川軍1万1,500、わずか数時間で勝負が決まり武田軍の被害100人ほどに対し徳川軍は重臣を含め1,000人を超えた戦死者が出たと言われています。
命からがら逃げかえった家康は絵師を呼び寄せ自分の今の姿を絵師に書かせたと言われています。それが、『しかみ像』です。よほど怖かったのでしょうね。
眞栄田 郷敦さんの思い描く武田勝頼像とは?
眞栄田 郷敦さんの話を聞いていて人間性を感じた(全力)
眞栄田郷敦さんは武田勝頼を演じる上での思いを強く語っています。
お父さん(信玄)が偉大な為に自分はどのように演じたらよいのかと!
武田信玄を超えたいと思う思いがすごく強くあって願望だけじゃなくて信玄から受けるものは受け継いで戦略だったり知略だった、かもし出すオーラだったり、たたずまいだったり。
ちゃんと優秀な跡継ぎとして表現していきたいと語っています。
この話の内容もですが、わたしくこのインタビューをPCで見ていてホント、どっしりとゆったりを話す姿を見ながら聞いていて「うわ~、オーラあるじゃん!」とお世辞抜きに思いました。
カッコよかったです!ホント。
やっぱり武田信玄・勝頼は凄い人達
戦国時代だからもちろん兵力がないと殺されてしまう時代です。
信玄公の残した言葉に「人は城、人は石垣、人は堀」とあります。
人を大事にしたようですね。
それに武田家には「下意上達」(かいじょうたつ)合議制の採用があります。
下の者にも意見を述べさせ合議制のもとで作戦立案をして方向を決めていくやり方です。
戦国時代にちょっと信じられない方法ではないでしょうか?
普通なら「殿の一声」で終わりですよね!?
また領内の反映にも尽力をしました。
諏訪湖~甲斐(甲府)を流れる暴れ川:釜無川に堤防を設置「信玄堤」、これはいまでもりっぱに役に立っているそうです。
人間としても誠に魅力的ですよね。
だからこそ今の時代でも武田信玄ファンが多いのだと思います。
『どうする家康』に眞栄田郷敦はいつから出演?放送回を紹介!:まとめ
『どうする家康』に眞栄田郷敦はいつから出演?放送回を紹介!個人的ではあるけれど、眞栄田郷敦さんに是非武田勝頼役をやっていただきたい。
ちょっと無責任な言い方だけど、眞栄田郷敦さんにはほんと、オーラがあります!
それにインタビューを聞いていても全力投球って感じですよね!
三方ヶ原の戦い是非早く見たいです!
武田信玄の死後、勝頼が頑張って兵を維持するも9年後に織田弾正信長によって武田家は滅亡を迎えます。
そこで、残された武田家臣たちを配下に迎え入れたのが家康です。
誰よりも武田軍が優秀なことを知っていたからこその対応です。
その後家康は江戸に幕府を開き統治していったのです。
その江戸幕府を軌道に乗せていったのは武田の家臣が中心だったのです。
それでは、以上『どうする家康』に眞栄田郷敦はいつから出演?放送回を紹介!をお届けしました。